アシンメトリーな脳はそれだけで旅をする運動だ 第二章        
        吉本隆明さんが仰有っていた             
          「自分の拳に託せる以上の政治は語らない」                          についての東出融自身の考察エッセイ        
        内田樹さんと高橋源一郎さんの対談本             
          「ドンドン沈む日本ソレデモ愛せますか?」                          を読みながら身体から思うこと!  その 3

 
 内田樹さんが震災後にこう思ったそうです。
「ちょっと甘かったな。自分は考えているつもりでも、考えていなかったんだ。視野にいってきたものを色々料理してるだけだった。そんなの考えてるって言わねえよなって思うんだ。」
僕は凄く共感出来るのです。
なんぼ其れで振り付けをつくろうが、わいてきた唄を作曲しようが、奉納の舞いをしようがその圧倒的な力には本気で活動してなかった。
ある立ち位置で言ってその気になっていた。
だから生活の中で根差した何かでの大きな場での表現が先だって思ったのです。

伊豆でもアジール的なゲストハウスをつくっていたけれども全く身体性が満足していなかった。 其は今の限界集落と霊的動植物のテレトリー世界の間に住むから解ったのですが、自分の創造が生まれる源泉はその場から始めて沸き上がると知ったからです。
だから村上春樹さんも沢山無意識化と繋がる山が出てくる。
人間の創造の源泉に外の場がピッタとはまったときに本気な創造が生まれると思うのです。

星野道夫さんも「人生で一回でもザトウクジラのバブルハンテイングに出会えたのなら、二度とアラスカに来なくても自分の何かが目覚めその事が凄く全体性と言う自分との出逢いにとってとても大事な事だって思うのです。」と言われる意味合いは凄く大事な事だって思うのです。

だからイヌイットが鯨の狩りで命の重さを同等にみて、銛を投げるのは一人と言うsizeが凄く重要だと思うのです。
だからこそ顔がみえるsizeの人力で汲み出すお水を飲んで都会で感じ、訪れた時にはその伏流水のお風呂に入って其処の風景を身体に入れる装置としてのプチワーキングビュウホテルに泊まっていただくことは、何か解離されたものが又ピタッとはまる接着剤になっていくんだと本気で思えるから目指している、ホルモン流儀 縄文百姓芸術団 あらえびす の活動なのです。
其処にアジール的な私塾を通して養老院と職業訓練塾と保育園と学童が一体になったものを生み出せたならば更に相乗効果が生まれると思うのです。
此処に僕のなかでの原発お疲れさまでした活動があるのです。

この私塾を「ビフォー&アフター ビンテージピープル カンパニーハーツ」と僕は命名しています。
ホルモン流儀も古民家再生ひとつとってもビフォー&アフターですから。
霊的動植物のテレトリー〜子供〜青年〜大人〜ご老人〜霊的魂の世界 此れを繋ぐ伏流水。
だから場が生まれ間が生まれる。
その違いに気を使う。
肚が一致しているからイデオロギッシュから解放されても自然に成り立っいく。
そんな風に僕は身体が動き、思考が其処にしっかりとたどり着いて錨をおろして自分と言う船の停泊場が決まったのです。
其が肚が決まり場を身体が掴んだと言う事だって今はわかるのです身体で。
だから迷いがなく、
だから不安がないのです。

対談本で次に僕が着目した箇所は「祝島って、平均年収が凄く低いじゃないですか。でも、食べるのにはそんなに困らないんだよね。逆に都市的な暮らし(もう此処でも山を下る東根市街は此処限界集落と違って都市的な暮らしです)の方がはるかに貧しい。これ内田寅彦の言葉らしいけど、文化が進めば進むほど、自然災害の被害は巨大になっていくんだって。 確かにそうだよね。家を自分で木っ端使って普段から修理して目配せしてるし、魚釣ったり、山菜摘んだりすることができる。でも、現代人って其ができないんだよね。大地震の後東京なんて水ものめないわけでしょう。」
「目の前に川があっても其が飲めない。家も建て直せれない。外に出ても食べるものなんか採集しようがない。だから地震で原始生活に戻りましたっていう言い方は不正確なんだよ。原始生活以下なんだ。限界集落には衣食住の基本がある。住むところ建てたり、着るもの織ったり、食べ物を自分で栽培したり、獲物をとってきたりって言う基本的な営みそのもが都市的生活では構造的に不可能なんだから。都市的生活者は金を稼ぐ能力以外の能力開発を禁じられているんだから。地震で暴露したこといっぱいあるけれども、その一つは今言った自分自身を養う力の欠落だと思う。食べ物、飲物、雨露をしのぐところを自分で調達するって言うもっとも基本的なスキルが制度的に破壊されている。そう言う物は全部商品として金で買うしかない。」
「商品がない、そう言う状態を想定している人って都会にはいないんだよね。そういう心構えすること自体が禁圧されているような気がした。商品が手に入らない状態を想像したり、慣れたりすることって、市場からしたら絶対にあってはならないことだからね。」
「日本のエネルギー政策のいちばん根本にあるのは、生活水準を一回あげたら落とせないって言う思い込みなんだ。強固なイデオロギーだよね。貧しくなることは絶望的なことなんだと。今二極化してるんだよね。産業構造。チャカチャカキーボード叩いてそれだけで何十億も何百億も利益を上げるような生産性の高いところばかりが生き残っているんだけど。でも、これが実は、日本の今の雇用不安の元凶なわけだよね。だって、生産性の高い企業ってさ、要するに人間要らない企業のことなんだから。」
「だから、原発の立地条件って、貧しいところを狙い打ちするわけだからね。其処で何で祝島が頑張れるのかって言うと、歴史がある、文化がある、こっちの方が豊かなんだって言うプライドがあるからでしょ。他の地方では反対運動が維持できずに、祝島でできたって言うのは、多分その豊かさの違いだよね。つまり、お金とは別種の豊かさを持っているから、お金の豊かさを持ってこられても、それの何処がいいの?って言える。貧しいっていうのはさ、お金がじゃない。お金の前でよろめいてしまうのが貧しいって言うことだと思うよ。札束見せられても、其が何か?って言える、其が豊かってことなんじゃないの。」

此れは都市と限界集落を行き来している自分にとっては切実感じる感覚です。
本当に此処ではお金をあまり使わないで何日も過ごせてしまうのです。
けれども都会では時間潰すのも何処かで御茶するしかない。
猛暑だと冷房入った場に行くしかない。
此処は木陰にはいるだけで水が豊かだから充分涼をとれるし、古民家は改築さえすれば本当に涼しいのです。
その感覚の違和感は特に震災のときに顕著でした。
向かいの叔父さんは此処では何時でも震災と変わらぬ生活スタイルだから電気つかないだけだよなって。
本当にその通りなのです。
大体太陽と一緒の時間で生活しているのだから。
そうすると当たり前と思っている世界が、実は虚構で此処での生活が豊かだって、一番確かな体感でBIGチェンジがおきるのです。
場に根差した不安が何処にもない安堵感で、身体が満たされていくのです。

今この部落側の霊園でもBIGチェンジが起きています。
皆姓を名のらないお墓をたてていて、此れを姉妹都市の千代田区でお墓高くて困っている方々に買っていただこうという企画。
本当に日本の元風景を見渡せる敷地を十九万で一万敷地売りだそうと言う企画です。
姓をのせないと血縁が切れてもお墓は残るシステムになっていて、其処で産直の販売店があったりお墓参りにきた方々とご先祖様が一緒にバーベキュウーしたりできる場を生み出そうとしています。
僕もあのマンション見たいな中に入るのは凄く抵抗があったから素晴らしいなって思うのです。 だけれどこうやって自由に企画を現実化出来るのが限界集落なんです。
制約が甘いのです。
その代わり地元に認められないと駄目です。

 僕は越してきた頃に宗教家と疑われました。
けれども地元で大事にしているダムに沈んだお宮をダムの側に接地し直して奉っているお山の神様がいます。
其処には伏流水が飲めるようにとホースでお水を引っ張っている所があるのですが、其処が水が出なくなり新たに引き直すときに僕はお手伝いを利候補しました。
途中にギリギリ人が入れる登りに土管が通っていて其処にホースを通す事になったのですが、此れは身体が柔らかくないと入れない。
其処で自分に適任と率先してやりました。
其れでやっとこいつ肚で守りたいもの同じだなってほんの少し信頼を得ました。
此処で暮らすって、こう言うことなんです。
あっちも身体が受け入れるまで時間をあえてかけるのです。
此処が都会ではパッパと何でも愚かな早さで事を急ぐから評価も早い。
マスメディアが一番の例ですよね。
誉めたと思ったら少しの躓きで悪者。
其れで子供がのびのび育つはずがないのです。
失敗が許されない社会。
これで子供が未来の可能性に創造の羽を広げて、実験することなどできるはずがない。
子供が育たないってことは大人はドンドン二項対立に向かうってことだと思うのです。
今こそアシンメトリーな脳を体から真剣に求めて、其が社会の場に当たり前に存在している世界を生み出したいと、今僕は真剣に思っているのです。


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